松原の部屋

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常総水害から1年(後編)

この記事は前後編に分かれております。まだ前編をご覧でない方は、是非前編も併せてご覧ください。
前編では私が向かった地域の被災状況をお伝えしましたが、後編では主に常総線をはじめとする地域公共交通の被災状況をお伝えします。
水害発生時、常総線はいち早く運転を取りやめ、早急に常総線車両で下り列車下妻駅、上りや車両基地に留置されていて動かせる車両は全て新守谷駅以南へ避難されました。水海道営業所のバスも2台を残して全車新守谷駅のロータリーへ避難されましたが、従事した社員さんの車は残念ながら水没してしまったようです。

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2015年9月10日撮影
水害発生当日、学校が忌引扱いの臨時休校になり、常総線の車両が新守谷まで避難してきたとの情報を受け、確認のため行ってきました。0形や310形といった在来車6編成と2307編成が避難していました。2、3番線の車両は一度守谷駅へ向かってから折り返して車両基地へ向かったそうです。

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2015年9月11日撮影
新守谷駅ロータリーへ避難して来た水海道営業所のバス。今後暫くの間はここを仮設営業所として使用していました。ここに入りきらない分は取手営業所等周辺営業所に避難、関鉄観光所属車は関鉄観光土浦本社営業センターへ避難したようです。

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2015年9月11日撮影
水海道駅1つ取手側の小絹駅のシャッターは閉められ、運休と振替路線案内の手書きの張り紙が貼り出されていました。
取手駅守谷駅の間は関東鉄道のバスによって列車代行バスが運転されていたようです。

2015年9月14日
この日に水害被害を受けなかった下妻~下館で運転が再開されました。

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2015年9月15日撮影

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2016年9月15日撮影
被害がほとんど無かった守谷以南は水害発生6日後の16日には運転再開、昼間は2両、朝夕は4両で守谷駅の配線や車両の都合上1時間に2本程度しか運転できませんでした。
この写真は再開のために新守谷以南へ避難していた車両が続々と車両基地へ戻ってくる様子を撮影した写真です。普段は連結されない車両同士が連結し、常総線で運転できる最長編成の6両で戻ってきました。

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2015年9月16日撮影
常総線の守谷~取手が復旧、守谷駅~水海道駅で列車代行バス運転の運転が開始されたため、少しでも力になればと新守谷⇄取手を乗車。自動改札機が新しい物に交換され、取手駅のLED発車標が水海道駅と同じ液晶画面によるものに交換されていたのは驚きました。
代行バスは龍ヶ崎営業所から来ており、ツーマン運転で、現金専用、常総線の車内補充券で精算していました。(回数券が利用可能だったかは不明、磁気定期は乗降車時に車掌へ提示だった記憶)

2015年9月18日
常総線水海道~守谷で運転再開
快速列車運転なしで通常の半分の列車本数ではあるものの、水海道以南の運転が再開されました。
また、これと時を同じくして水海道駅~下妻駅で列車代行バスの運転が開始されました。

2015年10月10日
常総線水海道~下妻で運転再開
水海道駅下妻駅で系統が分断されてはいるものの、線路の路盤が流出したにも関わらず水害発生から1ヶ月という脅威のスピードで全区間で運転再開を果たしました。快速列車の運転再開(=完全復旧)まではもう1ヶ月かかりましたが、水害からたった1ヶ月で流出した路盤を元通りに戻し、水害した遮断機やポイントの駆動装置やICカード簡易改札機を新品に交換したのはとても驚き、地域の1日も早い復興を祈る鉄道マンの意地を感じました。これにより、水海道~下妻に残っていた列車代行バスは運転を終了しました。

2015年10月15日
常総線下妻駅での系統分断終了
これにより下妻、下館からの列車は下館駅の最終列車を除く全列車が水海道のりかえ取手行きとなりました。

2015年11月16日
常総線快速列車運転再開
快速列車用の保安装置の整備が終了し、水害発生から67日目にして完全復旧しました。これにより全区間で通常通りのダイヤで運転が再開されました。


続いてはバスの状況です。
水海道周辺を走るバス路線のうち水海道~岩井線は全区間で運休、水海道~土浦駅線は水海道~みどりの駅で運休、高速バス常総ルートは絹の台~岩井で運休だったようです。
それ以外の水海道営業所担当のバス路線での長期間運休は無かったようです。
水海道周辺のバスの運休も水害発生11日後の21日に全区間で運転再開。水海道の市街地があまり大きな被害を受けていなかったのが不幸中の幸いといったところでしょうか。

今回は先の常総水害による常総線とバスの被災状況をほぼ時系列順にお伝えしました。もう二度とあのような悲惨な災害が起きないよう祈ります。